前回の続きです。(前回→ 恐怖!大学生が陥るティーチングアシスタントの罠!)
人間関係に悩んでいる僕が、これからどうしていくかについて書きたいと思います。
人間関係の悩みについて調べてみると、色々と出てきますね。それだけ、皆さん、人付き合いで悩みを抱えているんですね。
その中で、自分に合いそうなものをピックアップしてみました。
1.外の世界を意識する。
僕の場合、相手は先輩といえど、所詮、学生なんですよ。社会にすら出ていないんです。権力も無ければ、実行力も無い。せいぜい、嫌味を言うぐらいが精一杯なんです。
研究室という狭い空間にいるから、先輩を大きく感じてしまうんです。もう一歩外の世界を意識すると、本当にちっぽけな存在です。
もし、僕が社会人だったら、学生の先輩に怖気つかないと思います。もし、僕が40歳や50歳だったら、先輩の言うことに傷つかないと思います。
今いる状況よりも外の世界を意識すると、気持ちが軽くなりますよ!
2.人生における役割。
ここからは、僕の持論です。
人生において、すべての人には役割が与えられていると思うんです。お金持ちの役割や、貧乏人の役割。運動が得意な人の役割や、運動が苦手な人の役割。意地悪な人の役割や、優しい人の役割。様々な役割が与えられています。
これは、大きな集団であろうが、小さな集団であろうが、必ず役割は与えられますし、集団によって与えられる役割は変わります。
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学生時代の話。
中学生のとき、僕は部活に所属していました。そして、キャプテンを任されていました。部活を率いることは、本当に大変で、毎日、死に物狂いでやっていました。
特に、部員をまとめるのに苦労しました。
問題児が一人いたんです。同じ学年の子でした。自己中心的で、怒ると暴力的になります。彼がいると、チームが乱れてしまうんです。
その後、高校に入り、また部活に入りました。その部活には、チームを乱すような部員はいませんでした。
すると、今度は、僕がチームを乱すようになってしまったのです。
今まで、散々苦労してきて、誰よりもチームをまとめることの大変さをわかってきたつもりでした。そんな僕が、同じ穴の狢になってしまったわけです。
先輩も役割をこなしているだけ。
どの集団においても、何かしらの役割は与えられます。それは、本人の自負など関係なしにやってきます。
そう考えると、僕の先輩も、僕と衝突する役割を与えられているんだなと思えますよね。
もし、その先輩がいなければ、また別の人がその役割を担うんだと思います。
どうあがいても、衝突は避けられないわけです。
3.ありがたいと思う。
普通に考えたら、ありがたい訳ないですよね。嫌な思いをしているんですから。むしろ憎いですよ。
それでも、僕は、先輩に感謝したいです。
先輩は、僕からの憎まれ役を担ってくれています。
作用・反作用の法則みたいに、僕が「嫌だな~」と思うのと同じくらい、先輩も「嫌だな~」と思っているはずです。
避けられない衝突のために、先輩は体をはって僕と対峙してくれています。
これからは、先輩に感謝の念を抱きながら、衝突しようと思います。
最後に。
あとから、文章を読み返してみると、「こいつ気持ち悪いな~」って思います。(笑)
「なに、聖人ぶっているんだ!」って思いますよね。
でも、気持ちはこっちの方が、圧倒的に楽ですよ。今まで、木を見ていたのが、森を見れるようになったというか。
憎しみの感情よりも、「そういうことなのか」という納得が気持ちを占めていますね。
まー、また先輩と直接対峙すれば、気持ちは変わるんでしょう。でも、当分は、この心持で臨みたいと思います。
また、何か変化があれば、書きたいと思います。
ではでは。