学生こそ、学校以外のことに時間を使おう!

ついに修士論文が完成した。提出日までまだ1週間も残っている。

周りと比べて相当早いスピードで完成させることができた。周りの人たちはまだ研究の検討をしている段階である。中には、先週にまた新たな検討を始めた人もいる。

そういう人たちを見ると哀れに思う。そして、自分の恵まれた環境に感謝したくなる。

確かに周りとは研究内容も違うし環境も違う。だから単純な比較はできないかもしれない。

でも、明らかに彼らは不幸である。なぜなら、みんなホントは研究したくないのにイヤイヤ研究をやらされているからである。

みんなの目標は卒業することである。しかし、目標のためにそんな大それた研究論文を仕上げる必要はない。

そもそも評価とはそんなに関係がない。本論はあまりみられず、梗概(研究目的・方針・結果)や発表で評価が分かれる。だから、時間をかけるべきは梗概や発表の練習である。

沢山時間をかけたのに何も結果を残せないなんて悲し過ぎる。大事なことは必要最低限の力で最大の結果を残すことである。私は最小の力で『最優秀賞』をとるつもりである。

決して研究に対してやる気がないわけではない。やらなくちゃいけないことはやっているし、自分で考えて主体的に行動もしている。毎朝早起きして活動しているのはその証拠である。

私の考えの根本にあるのは、『しなくていい苦労はしない!』である。たかだか修士論文のために自分の人生を安売りしたくはない。

私は学生であるが、何も研究だけが人生ではない。他にもやりたいことは沢山ある。

研究だけで苦しくなっているのはおかしいし、絶対に楽しくない。楽ができるものはどんどん楽をしていく。

世の中の風潮として、なぜか「楽をする事は悪」だと思われている。しかし、実際はそんなことはない。楽ができるんだったら楽をしたほうがいいに決まっている。

そして時間をかけるべきところに時間を投資するべきである。何回も言っているが、研究は時間をかけるべきところではない。人生の本質ではないし趣味みたいなものだからだ。

みんな既に進路は決まっていて、研究者にならないのが多数である。だから、研究なんて片手間でちゃちゃっと終わらせて、もっと有意義なことに時間を使うべきだ。

学生こそ学校以外のことに時間を使うべきである。立ち止まって自分の人生について深く考えることができるのは今だけである。

「自分が何のために生まれてきたのか」がわからないと行動に重みがでない。人生を主体的に動かしていないので薄っぺらい人生となる。主体的でないのに自分がもたらした結果に対して責任が持てるのであろうか。

少なくとも、私の周りの人たちは責任を持てていない。先生が何だ、研究が何だと文句ばかり言っている。そして、満足のいく結果を生んでいない。

また、学生の内に考えるべき理由として時間的な制約がある。いざ急に自問自答しようとしても、社会人になってしまうと立ち止まって考えるのは難しい。すぐに明日がやってきてしまうからだ。

学生であれば沢山時間がある。貴重ではあるが、好きなように時間を使うことができる。こんな贅沢なことは無い。

しかも若い時の時間である。好きなことができるし、体も自由に動かすことができる。沢山考え、沢山行動し、沢山失敗することができる。

人生でもっとも贅沢な時期なのではないだろうか。

自分の道を決めているのは自分たちである。今の現状をもたらしているのは自分自身である。もし現状に不満があるなら、それを変えなければいけない。

やっぱり、修士論文でいっぱいいっぱいになっているのはおかしい。研究をしたい人ならそれでもいいが、大半の人は研究をしたくないと思っているからである。目標が卒業なら、もっと簡単に事を成すべきである。

学生こそ、もっと他のことに時間を使うべきである。

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