私は毎回献立を変えている日本人に対して疑問を感じている。
栄養のために「様々な食材」を摂るのは大事だけど、「いろんな料理」を食べさせるために献立で悩んでいるのは間違いだと思う。
毎日同じ料理でも栄養が十分摂れていればそれでいいと思う。料理の違いなんてたかだか調理方法の違い。素材の栄養が摂れていれば方法はなんだっていい。
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海外での実体験
私は人生で2回海外でホームステイをしたことがあり、2回ともインディアンの家庭でお世話になった。
そして、どちらの家庭においても毎日3食ともカレーであった。
肉や野菜は変えてはいるが、味付けは基本的に同じ。スパイスの効いた結構辛めのカレーであった。
でも、それで栄養は摂れていたし、毎日元気に過ごすことができた。
そういう経験を通して日本を見てみると、毎日異なる料理を作っている日本人は変わっていると感じるようになった。
好きでやっているならそれで構わないが、決してそうではない。
常識みたいなものに囚われていて、非常に苦しそうに見える。
だったら、日々決まったものを食べて、別に食べたいものが思い浮かんだらそれを食べればいい。献立に悩む必要はない。
献立の固定化は、夫の家事問題を解決する
また、献立を固定化することで夫の家事問題も解決できるのではないかと思う。
夫が家事をやらないと嘆く主婦は多い。特に料理において。
私は毎日料理をするので彼らの気持ちはわからない。
でも、彼らが料理をしない1つの理由としてハードルの高さがあると思う。
これまでの常識に従うならば、冷蔵庫の中身を念頭に置きつつ様々なバリエーションの料理を作らなければならない。
こんなの素人には到底無理だ。
逆に献立を固定化すれば、冷蔵庫の中身はずっと同じだし、作る料理も同じ。
何か1つメニューを覚えてしまえばあとはその繰り返し。超簡単!
特にカレーが便利。必要な栄養素を含む食材を全部ぶっこめばいい。
ミネストローネとかでもいい。とにかくスープ系のものが簡単だし栄養も多く摂れる。
誰が言いだしたか知らんが、「一汁三菜」なんてナンセンス。
三菜の食材を一汁にぶっこめばそれで完成。
空いた時間をコミュニケーションやスキンシップに使った方がよっぽど有意義である。
”料理ごとき”に時間をかけている場合じゃない。
異なる料理を作っても、子どもが食べてくれるとは限らない
もちろん、日本の主婦(主夫)が考えることを放棄しているとは微塵も思っていない。
彼女ら(彼ら)は、特に子どもが美味しく栄養を摂って欲しいと願い、様々な料理を提供しているのは知っている。
ただ、私の周りの主婦の話を聞くと、子どもの為と思って料理を作っても食べてもらえないことがほとんどであると聞く。
そして、子どもが食べないと「あなたの為に作ったのに!」と怒る。
子どもからしてみれば、別に頼んでないのに勝手に苦労しているに過ぎない。
確かに手間暇はかけてはいるが、それと相手の気持ちは別のものである。
分けて考えないといけない。
そのイライラは確実に子どもに伝わっているし、それが子どもに良い影響を与えるとは到底思えない。
ポジティブな気持ちは心の栄養である。
メニューを固定化して心に余裕を持つべきである。
野菜を全く食べなかった友達
私の友達に全く野菜を食べなかったい友達がいる。
でも、今は野菜をモリモリ食べている。
一人暮らしを通して自分で料理を作ることで食べられるようになったらしい。
例えば、この友達に対して子供時代にいくら野菜を食べさせようとしても無意味であっただろう。
だったら決められた献立を用意して、相手の振る舞いに対して一喜一憂しないことだ。
食べる奴は食べるし、食べない奴は食べない。
食べ物の好き嫌いなんて周りがどうこうできる問題ではない。
私には好き嫌いがない。全ての食材を好んで食べることができる。
しかし、私と同じ環境で育ったはずの兄は海老などの「甲殻類」と「キノコ類」が大嫌いである。
だから、育った環境とかで食べられるものが決まるわけではない。
嫌いなものは生まれながらにして嫌いなのである。
「好き嫌い」と「わがまま」の境界線
ただ、「好き嫌い」と「わがまま」はきっちり分けなければいけない。
他に食べるものがなければイヤでも食べるだろう。隠れてお菓子を食べなければ。
そういう隠れてお菓子を食べたりすることはわがままに入ると思う。
今は物に溢れた時代なので、「必要な物」と「そうでない物」の見分けが難しい。
だからこそ保有する物を減らし、必要な物を見定めなければいけない。
こういうところでもミニマムな生活は役に立つ。