「めんどくさい」と面倒は別の感情

今回は名言を見つけたので、それをご紹介します。

「めんどくさい」と面倒は別の感情

学生によくあることですよね。「めんどくさい」とか言って全然何も行動しないやつ。

僕もそのうちの1人でした。

でも言葉では「めんどくさい」といっても実際は面倒ではないんですよね。

なんていうか心にもやもやを抱えたような、何かをしようとしてるんだけどそれを心がせき止めちゃってる感じ。

特に学生であればそれは思春期生独特の現象なのかもしれません。

僕はその現象に非常に苦しめられました。

大学2年生になって【努力するための努力】をするようになってから全てが変わりました。

 

そもそも、努力には才能が必要です。

助走もつけずに努力を始められる、またそれを長期間続けられるのは一種の才能です。

だから私みたいな凡人はそれを補うための努力が必要です。

そこに気がつけたことが大きな一歩でした。

「めんどくさい」は心の防御策

「めんどくさい」という言葉を使う人の大半は、才能の無さをその言葉で片付けているだけなんだと思います。

そうすれば自分の弱さを見なくてすみます。

心が傷つくことに対する防御策なんだと思います。

だから本当はそーゆー自分の弱さとしっかり向き合っていかなければいけません。

「めんどくさい」と言う感情は成長のためには必要な壁なのかもしれません。

人生というゲームを楽しくするための1つの要素

これからも面倒くさいと言う感情は生まれますが、それは人生というゲームを楽しくするための1つの要素です。

「めんどくさい」という感情があるからこそ、いわゆる勝者は敗者よりも圧倒的に少ないのです。

将棋棋士の羽生善治の名言でこのような言葉があります。

何かに挑戦したら

確実に報われるのであれば、

誰でも必ず挑戦するだろう。

報われないかもしれないところで、

同じ情熱、気力、モチベーションをもって

継続しているのは非常に大変なことであり、

私は、それこそが

才能だと思っている。

情熱、気力、モチベーションを下げる要素として「めんどくさい」があります。

この「めんどくさい」という感情があるからこそ、人生が刺激的なゲームとなるのです。

全員が結果を残したら、それはそれでつまらないですもんね。

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