”愛する”とは”許す”こと。私が父を愛せるようになった話

皆さんにとって”愛”とは何ですか?

ほとんどの人は愛の意味を考えたことはないと思います。

でも、意味を知らないのにも関わらず、愛という言葉をよく使いますよね。

それは、幸せには愛が必須だとわかっているからです。。

意味はわからなくても愛を本能的に求めてしまうのです。

その愛と反対に位置するのが「憎しみ」です。

「愛の反対は無関心である」という言葉がありますが、私は違うと思います。

なぜなら、無関心は幸せに生きる為の手段の1つだからです。

世の中には「変えられるもの」と「変えられないもの」ものがあります。

人生は限られているので「変えられないもの」に時間を割く暇はありません。

そういう時は「変えられないもの」を無視(=無関心)し、「変えられるもの」に集中するののが得策です。

世の中には、どんなに頑張っても愛せない人がいます。憎くて憎くてしょうがない人です。

先ほどでいう「変えられないもの」です。

人間という生き物は、面白いことに同じ人間同士であっても天敵がいるんです。

どうしても相入れることができません。

そんな人に対して、「愛さないとダメじゃないか」と説教をかますのは酷です。

カエルに対してヘビを好きになれと言っているようなものです。

そんな相性の悪い人に対しては、せめて無関心に持っていく必要があります。

心の外に追い出すことによって気持ちが楽になります。

なるべくその人のことを考えないようにすることが幸せにつながります。

まとめると、これら3者の関係は以下のようになります。

愛 ⇔ 無関心 ⇔ 憎しみ

だから、愛の反対は憎しみなのです。

憎しみでは人は幸せになれません。

だから、せめて「憎しみ」を「愛」に近づける方法があるとしたら、それは素晴らしいですよね。

きっと人生はもっと良いものになるでしょう。

そこで今回は、愛について私が感銘を受けた言葉とそれを実行に移した話を書きます。

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私は父を憎んでいた

私は中学生の頃、父のことが大嫌いでした。

私が部活のことで悩んでいたときに説教をしてきたからです。

当時、私は本当に精神的に参っていました。自殺も考えたほどです。

そんな私に説教をするなんて正気の沙汰ではありません。

私は心底父を憎んでいました。夢の中で何回父を殺したことか。

それから大学2年生になるまで、私と父は仲が悪い状態が続きました。

転機 ある言葉との出会い

私が大学2年生の時に転機が訪れました。ある言葉との出会いです。

それは「愛とは相手の短所を許し、長所を伸ばしてあげること」です。

タイトルは忘れましたが、ある本の中で見つけた言葉でした。

スッと心に染み入るような感覚を覚え、その言葉に感銘を受けました。

世の中には愛と称して自分の都合の良いように相手を変えようとする人が多くいます。

でも、それは本当の愛ではありません。

ギャンブルとか依存症とか、そういう生活に関わる問題なら話は別です。

そうではないのに相手の特徴を受け入れられないのであれば、一緒に居るべきではありません。

相手の個性を潰してしまっているからです。

私は父を許そうと考えました。

このまま憎んでいても意味が無いと思ったからです。

憎んでいる間、私は幸せではありませんでした。

人生を幸せな時間で満たすためには、このような時間は不要です。

でも、頭の中でこねくり回しただけではどうしても許すことができませんでした。

一言で「許す」といっても、それまでに積み重なってきたものがあります。

そう簡単に許すことはできません。

だから、直接父に「私はあなたを憎んでいる」と伝え、謝罪してもらうことにしました。

謝罪の言葉を聞けば、少しは憎しみが和らぐのではないかと考えたからでした。

父を愛せるようになった

結果、謝罪はもらえませんでした。

理由は、「今謝罪しても遅いから」「当時はそれが正しいと考えたから」でした。

満足のいく結果は得られませんでしたが、なぜか私の心は軽くなりました。

憎しみの心はほとんど無くなっていたのです。

それは、私が父の短所を受け入れたからです。

子どもから見て、親は完璧な存在です。

彼らが家族のルールをつくり、道徳心や価値観などは彼らからの影響が大きいです。

小さい子にとって、彼らは”全て”です。

でも、私は両親が完璧ではなく、私と同じ普通の人間であることに気が付きました。

彼らもミスはするし、時に人を傷つけます。性格にも難はあるし、愚かな行動もします。

そう考えたら、私は父が可愛く思えてきました。

まるで自分の子どもの成長を見守るように、父の成長に喜びを感じるようになりました。

恐らく、彼は私の件を通して何かを学んだと思います。

事実、私が大学1年生の時までは関係が悪かったのですから、何かを感じ取ったと思います。

それでいいのです。

謝罪の言葉は貰えなくても、彼は何かを感じ取った。その事実だけで私は満足です。

彼は自分のことを棚に上げて、人に対して説教をする癖があります。

でも、それは彼の性格の一部でもあります。

彼を受け入れるということは、そういう部分も許すということです。

私は彼を愛せるようになりました。

そして、彼の長所にも目がいくようになりました。

私の家は決して裕福とはいえませんが、教育に沢山の時間とお金をかけてくれました。

そして、形はどうであれ私に沢山の愛情を注いでくれました。

そう考えると、本当に心の底から感謝の気持ちが溢れ出てくるようになりました。

決して上辺ではない、本当の「ありがとう」を言えるようになりました。

それからは家族との関係が良好になりました。

今までの人生の中で、今が一番仲が良いと思います。

笑顔も多くなりましたし、感謝や労いの言葉も日頃から使うようになりました。

今までじゃ考えられませんでしたが、両親の誕生日や父の日・母の日にはプレゼントと共に感謝のメッセージも送るようになりました。

本当に幸せです。

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